交錯する「3つの思惑」(と、私は勝手にそう思っている・・・)
小さな頃から読書が大好きでした。
物語も好きだし、学術書のようなものも好きだし、
とにかく、何でも、活字大好きだったんですね。
そして自分で言うのもお恥ずかしいのですが、
わりと、想像力豊かな方で、
特に物語を読んだ時の登場キャラクターたちへの
感情移入がすごかったそうなのです。
しかしその想像力、
必ずしも作者の意図するところとピッタリと
合致するとは限りません。
また、現代文の問題作成者の意図するところと、
問題文を提供した作家さんの意図するところに
「ズレ」が生じるケースもままあります。
だから、原作者・出題者・解答者の
3つの思惑が交錯するわけです。
「オマエは深読みしすぎだ」と言われた高校時代
高校生の時にお世話になった現代文の先生からは、
何度も[char no=2 char=”担任”]「オマエはいちいち深読みしすぎだから、裏の裏の裏までかくんじゃないよ」[/char]
とご指摘いただきました。
別に論破するつもりじゃないのですが、
定期考査での先生の採点と解説に納得いかない時は、
とことんまで自分なりの解釈をぶつけに行ったものでした。
うわぁ・・・今思うと、イヤな生徒ですね。
しかも、言ってること、
きっととんちんかんだったんだろうなぁ。。。
解釈ってのは、どうしても主観的な要素が
入り込んでくるわけで、
それは頭ごなしに否定できるものでもないので、
きっと先生もそれ自体は認めてくださったのでしょう。
[char no=2 char=”担任”]でもな、点数取らなきゃ始まらないんだよ。[/char]
と常々言われ続けました。
問題演習や模試で躓いた「全部違う」現象
さて、そんなわけで、
「独自の解釈」というのがネックになっていた現代文。
当然躓くのが、マークシートで全部選択問題である
センター試験タイプの試験でありがちな
「5つの選択肢、どれもなんか違う」
というミラクル現象。
いやいや、正解が、あるのよ。
間違いなく、正解が、存在してるのよ。
それは分かってるんだけど、
消去法で出そうとすると全部消えちゃった・・・
なんて事はザラ。
独自の解釈に溺れて、
正解がクリアに見えてこないという
最悪の状況に陥る事もしばしばでした。
こればっかりは、ねぇ・・・。
対策としては、解説をきちんと読むこと
まぁ、しかし「私はそうは思わん!」と
息巻いても点数が貰えるわけじゃないので、
諦めて人の意見、
人の解釈に目を向けるようにしました。
きちんと解説を読んで、
理解して、「なるほどね」と納得することで、
現代文の「問題」と「解答」の関係付けを
システマティックに捉えるようトライしたのです。
効果は・・・
うぅ~ん・・・あった、と信じたい・・・。
でも数学や英語と違って
「やればやっただけ身になる」という事ではなかったので、
あまり熱も入りませんでした。
まとめ
現代文は、センスと感覚と勘でも解けますし、
知らなきゃできない、覚えなきゃできない、
という科目ではなかったので、
運任せのままでしたね。。。
それよりもずっと問題だったのが古典でした。